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2007年8月12日 (日)

長野・上田 (2)

徳川家康は、上田合戦で38,000人の大軍を率い、2000人の真田軍に完璧に負けた。
その後、関が原の合戦で西軍が敗北、西軍に与した真田昌幸と幸村(二男)は死罪となったが、信幸(長男)の助命嘆願により一命を助けられ、高野山に流罪となった。
そして、昌幸と幸村その高野山にいる間に上田城は徹底的に壊された。
(真田昌幸の五女が石田三成の実家に嫁ぎ、幸村と三成が親友で西軍、信行は家康の養女を妻としており東軍と親子・兄弟で戦っていた)

0_img_1047本丸周囲の水堀    

0_img_1052二の丸空堀   

     

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