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2009年1月18日 (日)

1995年1月17日 阪神・淡路大震災

1995年1月17日、午前6時30分頃、TVのニュースで「大きな地震があました・・・」とテレップが流れた。「北海道でまた大きな地震があったのかなぁ」と思っていたら、テレップは「関西・・」と告げ「阪神高速が倒れた映像」が流れてきた。声も出ない、親族は大丈夫か友達は、会社関係者は、バイク仲間は、クルマ仲間は、テニス仲間は、とにかく皆の顔が脳裏に浮かぶ、心配だ。空撮映像に偶然本家が小さくだが確認出来た。

筆者は、このとき転勤で首都圏にいた。もうどうすることも出来ない。自宅の電話から通じるところは、みなん大丈夫だ。倒れた阪神高速近くの本家と連絡つかない。10円玉をかき集めて緑の公衆電話に走った。繋がった、叔父さんはタンスの下敷きとなったが大丈夫、あとは皆大丈夫。でも繋がらない親族もいる。全員が生存して家も大丈夫分かったのは午後3時頃だった。

blog始めてから1月17日になると書こうか書くまいか悩んでいた。友は奥さんを亡した。友は家を失った。友は当時マンションの自治会の会長をしていて半壊の宣言を受けた。こうなった時のマンションの大変さを聞かされた。長田でスポーツシューズを作ってもらっていたお店も全焼した・・・。失ったものがあまりにも大きすぎた。

避けていたのかも知れない。

今回、新聞に役所作成の震災ハザートマップが入っていたことで、震災そのものは体験していませんが後ろ押されました。見たものを伝える義務があるのだと。まずは、blogのタイトル「ひと・くるま・ばいく」から「くるま」の写真を。

Kobe_mm_a神戸市灘区、ある自動車販売店、巾の狭い道路一本離れただけで被害がこんなにも違う。

Kobe_mm_cA・Cピラーに中板を使っているベンツは、崩れて落ちてきた天井を支えていた。

Kobe_mm_bb二階が崩落、屋上から1BOXが滑り落ちて地面突き刺さりトーテムポールのごとく立っていた。 

Cgc_kobe_aCGの神戸復興を願うステッカー。

Mazda_dg3_aマツダスピードは、95年6月のルマン24時間レースでDG-3に「がんばれ、神戸!」のステッカーを貼って走った。
 
 
 
 
 
続きは、来年の1月に。

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コメント

mm414さん(元117,現NC乗り)も当時豊中におられて被災されたそうで、昨日写真を載せておられました。この二ヶ月後には地下鉄サリン事件と、年初から大事件が続いた年でしたね。「天災は忘れた頃にやってくる」、当事者の方々には辛いかも知れませんが、その時々で伝えて行く事も必要かと思います。未だ孤独死される被災者の方もおられる様で、合掌。

投稿: gop | 2009年1月18日 (日) 07時13分

カミさんの実家も中越沖地震で被災して生家には住めなくなりましたが、何とか元の場所で暮らし始めました。

他人事でなく、常に自分も含めて可能性のあること、そのときに何ができるかを考えることが大切なのでしょう。

当時CGのチャリティー・オークションでジョー本田さんの撮影されたF1のパネルを落札させていただきました。先日さすがに邪魔になって処分してしまいましたが、それだけの時間が経ったのだなあと思いました。

投稿: akira isida | 2009年1月18日 (日) 14時34分

gop さん

もしものときに備えて準備が必要ですね。gopさんのご自宅方面は岩盤の上だから、私の所より被害は少ないかも知れないですね。

私は、立ち入り禁止のビルの中で、許可頂いて作業しました。傾いた建物、柱の折れた表現出来ない変わり果てた床の中って水平が無いので平衡感覚が狂っちゃうのですよ。


投稿: イノウエ | 2009年1月18日 (日) 21時24分

ishida さん

>実家も中越沖地震で被災

それは大変でした。
元の場所で生活出来るようになって良かったですね。

14年はあっという間でしたが、あのときの色々な行動は今でもハッキリ覚えています。また、niftyの通信で他社、CG CLUBの方々から助言、激励を頂きとても感謝致しております。

あらためて、もしものときの準備が必要です。首都圏、いつ地震がきてもおかしく状況であり、頭で考えても行動していない自分にダメだなぁと反省しております。

投稿: イノウエ | 2009年1月18日 (日) 21時37分

事前に電話で実家の無事は確認してたもののウチの実家は甲子園球場からも近く例の阪神高速が倒壊したシーンをテレビで見てたんでドキドキ。
 結果的には親父の実家が完全倒壊した以外は親戚知人を含め大きな被害は有りませんでした。
 こんな時こそ冷静に物事を判断する力が必要だなって実感したのですが果たしてソレが出来るか??
 都民も他人事では無いとは思うのですが「喉元過ぎれば熱さを忘れ」ですかね。

投稿: うんつく | 2009年1月18日 (日) 23時45分

うんつく さん

引越ししたことにより、本家が残ったのです。
山陽新幹線が出来るとき、松陰の前の道が新神戸駅まで拡張されたでしょう。あの時、道路沿いだったので立ち退きとなり、灘区から東灘区に引っ越して軽量鉄骨の家を建てたのです。
白鶴の方です。それで建物が崩壊しなかったようです。灘区の山の手は、ご存知の通りの崩壊でした。

最近、一時期のように地震がないので、あるいみ不安ですね。喉元過ぎていないので、注意が必要ですね。明日はわが身かも知れないので。

投稿: イノウエ | 2009年1月20日 (火) 00時02分

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